
うねべ偉人列伝 その1
伊豫田与八郎
かつて豊田市は,低湿地で排水が悪く,雨水の被害が多く発生していた。与八郎は,水害を防ぐために排水路の開削計画に乗り出した。しかし,技術的にこの計画が無理であることが分かり,計画を断念した。
そのころ,都築弥厚の意志を再興しようと,碧海郡石井新田(安城市)の岡本兵松は,灌漑用水路の計画に乗り出していた。与八郎もこの計画に合流した。計画反対の農民の説得は兵松が,資金の調達は与八郎が行った。用水路という公益性が高い事業にもかかわらず,資金は民間が分担することになり,与八郎も多額の借金をかかえ,田畑・家屋敷も人手に渡った。その後,与八郎の功績は認められ,1883年(明治16)に藍綬褒章を受け,明治川神社の祠掌に選ばれ,多くの農民から尊敬を集めて余生を送った。その後,明治用水の開削工事は続き,現在,安城市を中心に,岡崎,豊田,知立,刈谷,高浜,碧南,西尾の8市にまたがり,1万5千軒の農家(7,000haの田や畑)に水を送っている。また,衣浦湾沿いの工場の工業用水としても利用されている。
| <年譜> |
| 1822年(文政 5) 碧海郡阿弥陀堂村(現豊田市)に生まれる 1860年(万延元) 排水計画を立てる 1874年(明治 7) 用水路計画に協力する 1879年(明治12) 用水路開発に着工する 1880年(明治13) 明治用水が完成する 1895年(明治28) 74歳で没 |
