「徳川家康公」渡船の地

永禄3年(1560)5月19日桶狭間の戦いにて今川義元戦死の報を聞くや大高城にいた松平元康(家康)はいちはやくこの地を脱し、水野下野守元信(刈谷城主)の家臣浅井六之助の案内で鳴海より知立・八つ橋・和会・上野・燐松寺を通りひそかに、配津村神ノ木(現東名高速道路北堤防)より臣下7名、配津村船頭半四郎の案内で矢作川を渡り5月21日無事大樹寺に入ることができたと言われている。(「配津の移り変わりをさぐる」より)